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妊娠11週で稽留流産|兆候から手術までの経過とその後

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この記事を読むと次のことが分かります。

  • 妊娠11週で稽留流産するまでの経過
  • 稽留流産を宣告されてから手術当日までのこと
  • 流産手術から3か月後、再び妊娠するまでの過ごし方

流産を振り返り文字にするのは心苦しい作業ではありますが、今回は当時のことを記事にしたいと思います。

妊娠から流産の兆候、そして流産を宣告されるまでの過程や、手術を経て再び妊娠するまでの私の経験をお伝えします。

2人目の妊活開始

2人目の妊娠を考えるようになったのは長女が2歳4か月頃のことです。

当初、この元気すぎる長女の相手をしながら2人目を育てるのはしばらく無理だと思っていました。

夜になかなか寝てくれず、私は何度も体調を崩してしまいました。

そんな長女の怪獣ぶりも成長とともにだんだんと落ち着くようになり、子育てにも余裕が持てるようになったので妊活を開始することになりました。

1人目が女の子だったので次は男の子が欲しいと思っていました。

排卵検査薬を使用し、男の子が生まれる確率の高い排卵日当日に狙いを定めていました。

長女のときは妊活開始から1か月で妊娠したので「次も早いのかな?」と思っていましたが、2人目の妊娠は開始から4か月後のことでした。

お互いの体調が合わなかったり旦那が残業だったり、男の子狙いのタイミングは難しいなと思いました。

妊娠11週で流産|兆候は8週の頃から

妊娠検査薬で陽性反応を確認し、近所の産院に向かいました。

産院は少し遠いため車かバスまたはタクシーでの通院になります。毎回、長女を連れて通院しました。

初診:4週

正常妊娠で胎嚢を確認、4週の大きさでお腹の子は1人と言われる。

胎嚢しか確認できなかったのは長女のときと一緒でした。

2週間後:6週

胎嚢は広がっていましたが胎芽と心拍は確認できず。

「家でゆっくりしておくように」と言われる。

出血してないかと聞かれ、内診が過去最高に長かったのを覚えています。

私はどうやら子宮が後屈していて見えにくいらしい。次は見えるはずと言われる。

さらに2週間後:8週

初診から4週間が経過しても胎嚢しか見えず、このとき初めて流産の話が出ました。

つわりがあるから望みはあるけど、胎嚢が2センチで成長していない。

2センチあるとだいたい見える卵黄嚢が見えない。

3センチを超えても何も見えなかったらアウトと言われる。

1週間後:9週

胎嚢は1週間分きっちり大きくなっていましたが赤ちゃんは見えず。

大きさはギリギリ3センチはなかったようです。

「本当に出血してないんですね?」と聞かれ、「してないです」

「つわりはありますか?」と聞かれ、「あります」と答える。

希望を持ちましょうと言われ、再び1週間後の予約をされる。

妊娠10週で出血|流産予防の止血剤が出る

翌日の夕方、茶色のおりものが出たことで不安になり泣きながら産院に電話。

内診の影響なのかな?という思いもありましたが、もうダメなんだろうなと感じました。

お腹を温めてゆっくりしておくよう言われ、翌朝産院に向かうことになりました。

健診でお腹の中に出血があることが判明。

流産の話はされませんでしたが、配慮されていたんだろうなと思います。

流産予防の止血剤が出されて必ず安静にするよう言われました。

「来週旦那は仕事か?」と聞かれたので一緒に受診することにした。

薬を飲むと血はほんの少し混ざっている程度でお腹の痛みはありませんでしたが、つわりは消えかかっていたような感じがしていました。

あんなに辛く苦しいつわりだったはずなのに、ピークになるどころか消えかかっている状態だったことが悲しかったです。

妊娠11週で稽留流産の宣告

旦那には午前休をとってもらい長女も連れて一緒に健診へ向かいました。

お腹の痛みはないけど違和感はありました。

胎嚢は縮んでおり内診で結構な血が出ているのを見ると、やっぱりダメなんだと確信しました。

内診台から降りると旦那がすぐに呼ばれ、胎嚢が縮んでいることを説明された後、流産を宣告されました。

別室に移り、手術するか自然に流れるのを待つか選ぶように言われましたが、私は怖くて答えることができませんでした。

自然に流れるのを待つと救急車で運ばれてくるケースもあると聞き、旦那が手術にしようと言ってくれました。

すぐにでも手術した方が良いそうですが、今日は朝食べてきているからできない。

翌日は産院の都合でできないため、2日後の手術となりました。

帰りの車で母に電話をし、手術になったので来て欲しいと短く要件だけを伝えて切りました。

稽留流産の宣告から一夜明けて

翌日、昼過ぎから感じたことのないお腹の痛みがありました。まだ耐えられるけど生理中のようでした。

別室での話の中で「手術までに血の塊がどわっと出たらその中に赤ちゃんがいるかもしれない」と説明を受けていました。

血はよく出るのでビニール手袋をしてすくってはみるものの、血はぱらーっと消えていく。

トイレに行くたびに涙が出ました。

誤って流してしまったらどうしよう、流してしまったらごめんなさいと心の中で思いつつ。

夜になると涙が止まらなくなり母に電話。この感情をどこにぶつけていいのか分かりませんでした。

2、3時間しか眠れずに手術当日の朝を迎えました。

流産手術の日

当日の朝は生理2日目くらいかそれ以上の量の出血でした。

妊娠アプリはアンインストール済。トイレに行くたびに血がたくさん出ましたが、塊なのかは分わりませんでした。

この辛い確認作業は私にとって大きな負担になっていたので「早く手術したい解放されたい」と思うようになりました。

長女のお世話は午前休をとった旦那に託し、私は1人タクシーで向かいました。

行先は産院であることを伝え、「赤ちゃんの話だけはしないでくれ」と思っていました。

運転手は穏やかで優しい感じの人でした。当時は冬だったので雪の話や世間話をしたのを覚えています。

もしかすると、私の表情から感じとってくれたのかもしれません。

流産の手術開始

産院に到着し、受付で「鼻声ですけど風邪ですか?」と聞かれたので「たくさん泣いたからかなぁ」と答える。

いつもは1階だけど今日は2階。分娩台に上がり医師が内診すると結構な出血でした。

エコーで胎嚢がかなり小さくなっているのを確認。医師から「よく頑張ったね」と言われ、また泣きました。

8時半から全身麻酔が始まり記憶が飛ぶ。

「手動真空吸引法」という流産手術が行われました。

記憶が戻り、時計を見たら9時半。

クッションを抱えた横向きの状態で病室のベッドに点滴をされた状態でした。

目は開いてもしんどいし体が動かないので再び目を閉じる。

気づけば12時前。眠っていたようです。起きて旦那に連絡して迎えを呼ぶ。

流産の手術終了

手術を終えた直後に思ったのは「もう不安な気持ちで健診に行かなくていいんだ」ということでした。

確かに寂しい気持ちもありましたが、流産という結果になり誰にも妊娠報告してなくて良かったなと思いました。

1週間後、健診に向かうと待合室でお腹の大きい妊婦を見て悲しくなりました。

涙はこらえましたが、診察室に呼ばれるまでの時間はとても辛いものでした。

医師から次の生理がいつ頃から始まるかを聞き、生理前に出血したら病院に来るよう言われました。

そして「2回目の生理が終わったら妊娠しても大丈夫。3か月後に会いましょう。次は見えるよ!」と言われ、またまた泣きました。

会計が終わり、旦那と長女と母の待つ車に乗り病院を後にしました。

手術の日は子どもの世話はしてはいけない、1日寝ておくようにと言われていたので、その日は何もせずゆっくり休みました。

旦那は午後から仕事へ向かったため、母に助けてもらいました。

流産手術の後は実家でしばらく休養

旦那のすすめで、手術翌日から2週間ほど実家に帰りました。

毎日夜になると「なんでダメだったんだろう?次はどうなるんだろう?本当に生理くるのかな?」といろいろ考えてしまいます。

実家には両親と兄がおり長女とみんなでわいわいと楽しいはずなのに、ごはん中でも勝手に涙が流れました。

何もする気が起きないし、お腹もだるく痛みもあったので横になっていました。

もうお酒飲めるんだよなぁ・・・」と思うと複雑な気持ちがしました。

手術を終えてすぐに前を向くことはできそうになかったので、私には自分の人生を立ち止まってみる時間が必要でした。

気持ちの沈んだ私を元気にさせようと振舞ってくれた両親と兄、そして元気すぎる長女の存在に感謝をしつつ、旦那のもとへ戻りました。

旦那のもとへ

まだ傷が癒えた訳ではないけど、気分転換に髪をばっさり切ってみました。

かなり久しぶりに、妊娠する前まで長女を連れてよく参加していた地域の集まりに顔を出すと、「赤ちゃんできたのかと思った」と言われました。

予想はしていたけど実際言われると辛い。私がご無沙汰していた間にメンバーの内2人は妊娠していました。

この頃はまだ妊婦や赤ちゃんを見ることができませんでした。テレビのCMすら見られませんでした。

夜になるとどうしても考えてしまい、寝つけない日々が続きました。

日中は元気すぎる長女の相手と家事に子育てに忙しすぎたので考える暇がありませんでした。

妊娠してから約半年、つわりや流産で長女の相手ができず寂しい思いをさせてしまったので、週末には長女を連れて家族で出かけました。

プリキュアの映画を見に行って念願のキュアエールとハグ、長女はとても嬉しそうでした。長女の笑顔に何度も救われました。

流産手術から3か月後、3度目の妊娠

手術後2か月くらいは次の子が欲しいとは思いませんでした。

またダメだったらどうしよう」という不安な気持ちが強く、怖さもありました。

しかし実際に生理が来ると気持ちに変化が見られ「妊娠できないわけじゃないから悲しまないでおこう」と思いました。

2回目の生理が来たため妊娠可能になり、排卵検査薬を買いに行きました。

男の子が欲しい気持ちに変わりはなく、排卵日を狙いました。

前回の妊活の経験から夫婦ともに体の調子は万全に整えて挑んだ結果、開始1か月で妊娠。

医師の言葉通り、手術から3か月後に再び会うことになりました。

またすぐ妊娠できると思わなかったのでとても嬉しかったです。

前回アンインストールした妊娠アプリを再びインストール。つわりも出てきて嬉しい。

もう泣くことはない。でも安心はできない」そんな気持ちでした。

流産を経験して思うこと

流産はこれまでの人生で最も辛い経験でした。

当初、私の中で次女は3人目、流産した子を2人目だと思っていました。

次女を妊娠し母子健康手帳をもらったとき、次女のことを「第二子」と書くことに抵抗がありました。

流産した子の妊娠が無かったことにされているようで嫌でした。

悲しい気持ちを無理に忘れる必要はないと思います。

時間では解決できないかもしれないけど、前に進めるようになるはずです。

流産の経験がある人は意外と身近にいて、流産したことを打ち明けると「私もしてるよ」なんて答えが返ってくることもありました。

みんな口にしていないだけで多くの人が経験しています。

流産はよくあることだし仕方ない

そう捉えることができたのは流産の宣告から3か月後、次女を妊娠したときでした。

励まされても心がしんどくなり泣いてしまうだけ。声をかけて欲しいわけでもなく、ただ気持ちを聞いて欲しい。そんな時期が続きました。

私は長女を妊娠したときも流産したときも、なかなか心拍の確認ができず不安な日々を過ごしました。

最後の最後で確認できて無事に生まれることもあれば、確認できずに流産することもあります。

次女を妊娠し出産できたことで流産を乗り越えることができましたが、この辛い経験を忘れることはできません。

娘たちが成長し慌ただしい毎日を過ごしていると思い返すことは以前より少なくなりました。

ですが、流産した子のことは心の中の引き出しに大切にしまってあります。

最後に、悲しむ私を支えてくれた旦那と長女、そして両親と兄、本当にありがとう。たくさん家族に助けてもらいました。

今後の人生に明るい未来があると信じて、これからも家族とともに生きていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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